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イザベラ・バードの日本紀行(下)

 

イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)   イザベラ・バード https://www.amazon.co.jp/dp/4061598724/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_ZreTAbRDV2W4Z @amazonJPさんから

 

 

イザベラ・バード女史はスコットランド人であり、プロテスタントの信者であり、かつ19世紀の婦人である。
決して、現代の基準で判断してはいけない。
つまり、当時の白人女性の視点からすると、かなり公平に判断しようとしている事がうかがえる。
それでも、相当のフィルタが入っているわけですが……。

下巻は主に蝦夷地の冒険と、その後訪れた京都や奈良、伊勢大神宮について述べられている。
女史はかなりアイヌに関心を持っていたらしい。
日本人の開拓地より長い時間をアイヌの村で過ごしているように見える。
彼女がつぶさに、そして間近に見たアイヌの生活記録はとても貴重なものだと思う。

また、京都や奈良は、東北に比べれば当然色々とインフラは整備されているし、今もそうであるように、風景の美しさは女史を魅了したようだ。
また、ここも興味深いのだが、本願寺を訪ね、英語の話せる僧侶と長い時間興味深い時を過ごした。
この時代に、伊勢大神宮を訪れたという事も、面白い。

 

山本五十子の決断 2

 

赤城という艦が、子供心に嫌いだった。
南雲にも草鹿にも好感が持てない。
そう思っていた。
そもそも、ミッドウェー海戦が大嫌いだった。

まあ、それはそうです。
小学生、中学生ではまだ理解力がいまひとつ足りなかったのです。
ずっと後になって、艦これという名作ブラウザゲームが登場した時、比較的初期に赤城が手に入ります。
彼女がつぶやくキーワードは「慢心はだめ」……。
そう、赤城は慢心からくる油断をしていた。
何しろ、時代は航空母艦の時代に入ったばかりで、赤城は実戦配備された事実上の浮沈艦で、堂々たる大空母で……。
はたから見ると負けるとはちょっと思えない。
けれども、その艦は十全の状態で運用されたとはちょっと言えない……。

そしてミッドウェーはほとんどの歴史家が言うとおり、アメリカ相手の戦争の転換点で、ここから帝国海軍は坂道を転がるように敗戦へと滑り出していったわけです。

しかし、一時期隆盛した架空戦記のなかで、いわゆる「うて、うてーっ」スタイルの小説では、到底カタルシスは得られませんでした。
単に帝国海軍が大勝利、大勝利ー、となるような単純なストーリーでは納得がいかないからです。

そのもやもやした気持ちを全て解決してくれた『山本五十子の決断2』ありがとう!

まず、キャラが素晴らしい。
この世界では、海軍は乙女だけで構成されています。
従って、南雲も、草鹿も、皆十代の少女なわけです。
しかし、しかし。
南雲長官が男性恐怖症で怖がりの水雷屋、これは良いです。
まさかの! 草鹿がw
宝塚風の王子様キャラになっているとは!
う、うわあ……w
しかもこのふたりが指揮する赤城がどうなっているのか。
頭の中が金とピンクできらきら眩しくなりそうでした。
い、いや、これは……これは凄いですよ。

そして勿論注目していたのは、いったいどういう風にミッドウェー海戦が料理されるのか!

主人公の洋平は、なんとかして五十子たちを守りたい、とくに五十子を守りたいと願っています。
(洋平と五十子ののプラトニックな気持ちも双方からうまく伝わらない感じで、やきもきさせられます)。
ミリオタとしては格別深くない洋平は、スマホのバッテリーの容量を気にしながら、史実のミッドウェー海戦について調べます。
その知識をもとに、洋平はある決断を下す。

本作のタイトルは『山本五十子の決断』ですが、重大な決断を迫られるのは、五十子ひとりではありませんでした。
洋平しかり、亀子しかり、後半では南雲も、草鹿も、決断しなければなりません。
いやいや、敵方のヴィンランド海軍でもさまざまな決断が下される。

当然のことです。
戦争では、指揮官の決断が全てを決めるのですから。

(昔、そのもずばり『決断』という大人向けアニメーション作品がありました! これも帝国海軍を扱ったものでした)

海戦がどのように展開するかは言いませんが、なんとか史実の惨劇を回避しようとする洋平のがんばりは爽やかで好感が持てます。
亀子の意外な陣頭指揮のもと、赤城の炎上は避けられたかに見えますが、それでもついに炎上が起こる。ここがクライマックスです。
どうしても史実の流れは変えられないのか?
なんとしても変えねばならない。
彗星が登場するところでは、快哉をあげてしまいます。

中盤からとまらないドキドキに、本をおく事がとても難しくなります。
面白いです!

あえて難を一つ言えば、物語が終わったあとも、実は戦争そのものの結末はわからないという事でしょうか。
はたして洋平はこのまま、海軍乙女たちの世界にとどまりつづけるのか。
五十子たちの運命はどう決着するのか?
たとえば、史実ではブーゲンビル島上空で撃墜された山本五十六と同じ運命を五十子はたどるのか?

しかし、亀子が指摘したように、ここで洋平が知る史実を改変した場合、その後の展開は全く変わっていき、洋平にも予測はつかなくなるわけです。

もしこの先も物語れるなら、今度は戦争の帰結そのものを改変する流れになるはず。

五十子が願う日米の和解は実現するのか、縞野はどう妨害するのか……。

まだまだドラマはありそうなのに、それはわからないままに終わる。
そこになんとなく、もやっとしたものが残ってしまいます。
つまり、ハッピーエンドが完璧ではないのです。
いずれ外伝でいいから、そのあたりについても少し触れて欲しいなあ……そう思います。

 

 

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山本五十子の決断

 

 

 

だいぶ前になりますが、会社の健康診断で問診にあたっていたのがかなり高齢のお医者さんでした。
その方が突然言ったのです。
「私はねえ、昔大和に乗っていた事があるんだよ」
その時の夢見るような眸が忘れられません。

戦艦大和といえば、当時世界最大の戦艦でした。
大艦巨砲時代の最後を飾る、偉大な艦です。
そんな艦を擁した連合艦隊は、敗戦後の日本に育った私たちにとっても、限りない憧憬と、浪漫と、多大なる切なさ、そしてやりきれなさがあります。
それゆえに忘れられない。
一昔前に、架空戦記が流行ったのだって、そういう背景があったからでしょう。

そんな連合艦隊を舞台に、繰り広げられるこの物語は、なんと歴史上実在した人物たちが、皆、少女になっているのです。
これにはちゃんと説明があって、この世界……ちなみに日本とは違う、葦原という名前についた列島ですが、その世界ではなんと男は海水に触れると重度の船酔いに似た症状を呈してしまう。
それどころか潮風を吸い込んだだけでも危ない。
また、女であっても、成年に達してしまうと類似の症状を呈してしまう。
だから、少女だけが艦艇に乗り込む事ができるのです。

そこへ、現代の日本から、呉の大和ミュージアムを見学していたはずの高校生がいきなりタイムスリップしてしまう。
なんで、という説明はされませんが、むしろこれは説明しない方がいいでしょう。冒頭でくだくだしい説明をされるとつまらないですから。
主人公同様、読者も力業で作品世界に引き込まれる事になります。

なにぶんにも少女たちですので、随所に(男には)嬉しいサービスがあります。
あ、健全ですよ。健全ですが嬉しいサービスです。
挿絵もありますから、余計に盛り上がります。

本作は最初ネットで連載されていたものですが、改めて紙の本になり、豊富な挿絵がついている。
これだけで、既読の人も手に取る価値があるでしょう。
イラストいいですよ~。

そして素晴らしい生活感。
軍艦といえども、人が暮らす場所ですから、なにがしかの生活感があれば、世界観はリアルに感じられますね。
アジを釣る大会! いいじゃないですか。
海軍乙女たちが愛情込めて磨き上げた真鍮の測定儀。
萌えるじゃないですか。
軍艦に女だと~?、と目くじらを立てる人もたまにいますが、読むほどに、海軍乙女たちへの愛情が湧くはずです。
みんな一所懸命で、山本五十子はそんな海軍乙女たちをまるごと愛しているのだな、と感じられる。

その一方で、五十子も、束(宇垣参謀長)も、なにか重いものを抱えている。
これは、連合艦隊の情報に多少なりとも詳しい読者なら察せられるでしょうね。

そう。どれほど浪漫があろうとも、海軍は政治と無縁ではない。
五十子らが赤煉瓦に呼び出されるあたりは、大筋、史実の通りですが、
なんというか、全てそこが少女になっていると、実際の人物(当然男ばかり)で繰り広げられた時よりも、せつなさが増します。

そして、島野の憎々しさも、女である方が増しますね。
実に素敵な敵役キャラになっています。
おおあの島野をここまで悪女に……。
物語はそういう敵役がいた方が盛り上がります。

さらに、最後はスリリングな脱出行が待っているのです。
詳細はネタバレになりますから語りませんが、ここは脳内で爆音上映しながら読む事をオススメしたい。
(と言うと、察してくれる方は多分多そう)。

ラストのラストには、これまた大東亜戦争当時の日本軍に愛着を持つ人ならば、そして飛行機が好きな人ならば、あーっ、と感動するようなものが登場するのです。

最初から最後まで面白い。
さて2巻はどうなるのか?
続きが待たれますね。

 

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イザベラ・バードの日本紀行(上)

 

 

イザベラ・バードの日本紀行(上) (講談社学術文庫)   イザベラ・バード https://www.amazon.co.jp/dp/B009GXLRZY/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_9sMIAb3R9WY6C @amazonJPさんから

 

 

日本で一番有名な女史の著作は『朝鮮紀行』なのかなあ、と思うのだが、イギリスの王立地理学会の特別会員であり、世界を旅して回ったイザベラ・バードは、勿論日本にも来ており、実は日本についての紀行文は本作だけでなく、他にもある。それくらい日本に魅せられていたのかな、と感じる。

 

とはいえ、これは女史が初めて日本に来た時の旅で、なんと梅雨~台風の時期に、東京を発って東北地方を抜け、蝦夷、しかも蝦夷でも未踏の奥地をめざしたのだ!

 

横濱で雇った日本人の青年ひとりを連れて、単身、いまだ外国人が足を踏み入れた事のない場所。
日光より先、福島、新潟、秋田、青森。上巻は、蝦夷へ渡る手前までを扱っている。

明治になってまもない日本、既に横濱新橋間に鉄道が通っているものの、その他の交通手段は人力車(女史はクルマと呼ぶ)、そして荷馬だけ!


想像するとこれはキツい。当然道が舗装されているわけもなく、豪雨続きでしょっちゅうあちこちで洪水、溢水があるなか、ずぶ濡れ、泥だらけになりながらの旅という、なかなか壮絶なものなのだ。


バード女史の紀行文は有名だけどまさかこんな凄まじいものだったとは思いもよらなかった。
繰り返し、日本人は小さくて醜い、とあるのには苦笑してしまうが、考えてみると、ほんの半世紀くらい前までは、まだ「瓶底眼鏡に出っ歯、がに股」というのが日本人のイメージだった事を考えれば当然のことか。
子供が裸、男がふんどしいっちょ、女も上半身は裸がデフォ、というのには少し驚いた。明治の半ばくらいまでは、まだこんなものだったんだろうか。

 

とはいえ、正直で勤勉、旅人からぼったりする事は全くない。そして親切(おもてなしか!)という日本人の美点、そして雨が降っていない時の日本の景色の素晴らしい美しさについても繰り返し述べられている。
日光では、今、金谷ホテルとして有名になっている金谷邸が登場していて、興味深い。

 

 

(講談社学術文庫)

 

再開するかもしれません……たぶん!

病気になって入退院を繰り返すなどなどしていたため、長らくこちらのブログは休止してしていましたが、ブクログとの併載という形で再開を考えています。

 

片目を失明してしまったので、以前ほどの読書スピードではありません~。

従って、再開するとしても更新スピードは毎日とはいかないと思います。

 

それでもよろしければ!

また、よろしくお願いします。

『幻竜秘録 1~5』〈時の車輪10〉



ショーンチャン人が使う、エイ=ダムという道具と、飼い主(スル=ダム)、そして女奴隷(ダマネ)の関係。
最もはやく真相に気付いたのはナイニーヴであり、次にエギアニンが気付いているのだが、そこに関わり合った飼い主と、一時期女奴隷にされた異能者(アエズ・セダーイ)の両方をかかえこんだマットの立場は、察するにあまりある。
しかし、物語の設定として、絶対力を使える女性を一方的に束縛し、道具にする飼い主が、実は、潜在的に絶対力を使える女性であるというのは、凄くおいしい。
この事実が知られれば、女奴隷を大きな戦力とするショーンチャン帝国は大きな打撃を受けてしまう。
いや、それどころではなく、次代の女帝であるトゥオンは、彼女自身、飼い主の資格と技量を持っていることになっている。
つまり、全ての飼い主が実は絶対力を使う力を秘めているとすると、帝国のトップに立つ女性自身が、本来、家畜同然に扱われる野放し女奴隷(マラス・ダマネ)であるという、衝撃的な結果になるわけだ。

ショーンチャン帝国が、これほど絶対力を使う女性をおそれ、束縛する理由は、国を興した鷹羽王アートゥルが、異能者嫌いであったことに起因するようだ。
また、その原因になったのは、男性源(サイデイン)が闇王に汚されたことで、竜王テラモンを初めとする多数の男性異能者が狂喜に陥り、全界を崩壊させたせいなのだろう。

しかし、絶対力の試験を受けて、女奴隷にされるまで、その女性(まあ、若いうちに試験されるらしいので、少女)は、他の少女となんらかわることのない普通の人間として扱われ、人格を尊重されていたはず。
なのに、絶対力を使う力があるとわかると、その人格を否定され、分別どころか、判断力も責任能力もない存在とみなされるというのは、非常におそろしい。
海をこえて渡ってきたところで、少女どころか、成人女性をつかまえて、同じように女奴隷とする、さほどに簡単に、相手の人格を否定できる体制が、ショーンチャン人を不気味に見せる大きな要因になっているのだろう。

そして、「祖先(何千年も前!)の王国があったところだから、そこの土地と主権は自分たちのもん」とみなすショーンチャン帝国の姿勢も、同じところに通じているんだろう。
彼らがその土地を去ってから、おそらく彼らがそこに王国を築いていた時間よりはるかに長い時間、人々がそこで暮らし、生計を立て、土地を(海も)有効利用し、支配していたという事実を、簡単に無視できる精神構造は、なかなか凄い。もちろん、悪い方の意味で。

マットらと行動をともにする間、アナン夫人とつきあうことで、いささかはトゥオンも啓蒙されたのかもしれないが、はたしてそういう、不自然な事実にトゥオンが気付き、変わっていけるかは、大きなテーマになるだろう。
もちろん、残念ながらそうあっさりトゥオンの意識やショーンチャン帝国が変わるわけではないのだけれども。

実は、ショーンチャン人にかぎらず、「人を導くとはどういうことか」というのは、この物語のテーマのひとつになっているようで、シャイドー・アイールにとらわれたファイールが、全く別の切り口から、そこに挑んでいくのが物語のこのあたりだ。
有力な貴族としての立場から、人を指導する教育を受け、それをペリンにも伝え、トゥ・リバーズのたてなおしに大きな力となったファイールが、全く新たな視点から、そこを学び直す事になるのが面白い。
決して、それまでのファイールのやりかたが、間違いではないだけに、興味深いと言える。

勿論、同じように、人を指導するとはどのようなことなのかを学んでいくのはペリンも同じで、もはや自分が一介の鍛冶屋ではなく、なるべくして人を指導する立場になったことを、日々自覚していかなくてはならない。
もちろん、ランド・アル=ソアやマットと同じく、彼の悩みはそれだけではない。
狼との交感能力についてもそうだ。
ホッパーにたびたび指摘されるとおり、夢の中で狼と化しても、ペリンは常に人間としての意識から逃れられない。
どの程度まで、自分が狼となる事を許すのか、それがペリンの悩みどころだろう。
狼には独自の価値観があり、時にそれは人間の価値観より高潔に見えたりするが、完全に狼の基準に従うなら、ペリンはやはり、人間ではない存在となってしまうはずだからだ。

狼は、人間とは別に、闇王と戦うものたちであるらしく、ペリンの立ち位置というのは、最後の戦い(ターモン・ガイ=ドン)の時、人間ではない狼というグループを、ランド・アル=ソアに結びつける役割をするのかもしれないが、そこのところもまだ曖昧模糊としているようだ。


幻竜秘録〈1〉エバウ・ダー脱出―「時の車輪」シリーズ第10部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
幻竜秘録〈2〉闇の狩猟―「時の車輪」シリーズ第10部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
幻竜秘録〈3〉王国の盟主―「時の車輪」シリーズ第10部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
幻竜秘録4 二つの〈塔〉の策謀 (ハヤカワFT)/ロバート・ジョーダン
幻竜秘録5 黄昏の十字路 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2004年12月~2005年4月

『闘竜戴天 1~5』〈時の車輪9〉



この物語は、前提として、「世界の終焉が間近に迫っている」事になっている。
人類にとっての大敵は、闇王と呼ばれる存在で、三千年以上も封印されていたそやつの牢獄は、次々に封印が解けており、全界に闇王の影響が刻々と強まっている段階にあるわけだ。

従って、ともに封印されていた闇セダーイの活躍が活発になっているし、諸王国にはそれぞれ、闇セダーイが入り込んでいる状態。
(王国だけでなく、ショーンチャン帝国や白い塔も例外ではないし、黒い塔も、光の子も、ともかく権力やパワーと関係のあるところには闇の信徒が深く浸透している)。
なんと物語のこの部分では、エレインも、ランド・アル=ソアも、暗殺されかかる。
特に、ランド・アル=ソアの方は深刻で、ますます彼の人間不信を強めてしまう。

一方、エレインはアンドール王国に戻り、混迷している王国で、母の王位を無事に継承すべく、奮闘をする事になる。
アミルリン位としてめざましく成長を遂げていくエグウェーンにくらべると、エレインの歩みはもどかしいところもあるが、妊娠という女性の重荷をにないながら、王位継承者であり、かつ異能者(アエズ・セダーイであるという立場を上手に利用して立ち回る彼女の活躍も、目をはなせないものがある。

ところで、初読した時、このあたりでかなりげんなりしていたのは、主人公であるランド・アル=ソアがどんどん人間不信に陥り、とげとげしく、そして孤独に、冷酷になっていくのを見るのがしんどかったからかと思う。
その状況を改善するために、カドスアンやナイニーヴが活動するのdが、後に、ミンが、「結局はそのふたりも含め、誰もがランド・アル=ソアを思うがままに動かそう(ランド視点では、操ろうというところ)としているのが間違いだ」と看破するとおり、なかなかうまくはいかない。
いやもう、一人で何もかもやろうとして破綻するパターンそのままだ。

も・っ・と・ま・わ・り・を・た・よ・れ・よ!

と、読んでいても凄くやきもきするのだ。
だからこそ、余計に、助言を受けるところは受け入れ、自分の考えを通すところは通す、エグウェーンやエレインの活躍に共感を覚えてしまうのだろう。
特に、エレインの場合、妊娠しているという状態のため、周囲から制約されるところが実に人間らしく、ほほえましくもある。まわりは香料入りのワインを楽しんでいるのに、自分はお湯も同然の薄いお茶しか飲めない(蜂蜜も入っていない!)など。しかも、うまいこと、アビエンダがその「窮地」を救ってくれたり、ビルギッテが絆のためにお酒を制限せざるをえないなど、ほんとに、エグウェーンよりもさらにエレインのまわりは、読者にとって等身大のキャラクターに映る。

また、若者三人に目を向けると、やはり最も面白いのはマットで、ティリン女王との関係もさることながら、いよいよここで、予言の女性である、九つの月の姫君が登場する。
マットとの結婚を運命づけられている女性だというのに……マットが、ティリン女王のツバメであるところに登場するというのは、どうなのか。
これは、あまりにも、ヒドイ。
マット以外の男なら、もう逃げ出してしまうだろうと思えるのだけど、さすがマット。
そのシチュエーションを脱そうと苦闘しつつも、なぜか苦労を感じさせない。


闘竜戴天1・黒アジャ捜索 <時の車輪第9部> (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
闘竜戴天2・偽りの英雄・ (〈時の車輪第9部〉)/ロバート・ジョーダン
<時の車輪第9部〉 闘竜戴天3 -九つの月の予言- (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
闘竜戴天4 -消えた聖竜士 〈時の車輪第9部〉 (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
闘竜戴天5 -シャダー・ロゴス崩壊― 〈時の車輪第9部〉 (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
2004年4月~2004年8月

『竜騎争乱 1~5』〈時の車輪8〉



かつてエモンズフィールドを出た若者たちは、全界にばらばらにちらばり、それぞれ冒険するのがこのあたりなのだが、同時に諸国は乱れに乱れ、もはや平穏な国を探す方が難しいほどだ。
ランド・アル=ソアは一方でショーンチャン人とぶつかりあい、もう一方ではイレイアンに攻め込んで、サマエルと対決する。

エグウェーンはタール・ヴァロンをめざし、エレインはいよいよシームリンに目を向け、他方白い塔やサリダールからランドのもとに赴いた異能者(アエズ・セダーイ)たちは思いもかけなかった立場に追い込まれる事になる。

しかし、こうしてみると時の車輪の全界は、なんとも女性の力が強い。
原点ともいえるエモンズフィールドでも、「男会」より「女会」の方が実質的に力があるようなのだが、女王の多さにも目を牽かれる。
アンドールは代々女王が支配する国だし、他に、サルダエアなど、女王がおさめる国が目白押し。
アサ・アン・ミエレも支配的な立場に立っているのが女性なら、遠くショーンチャン帝国も女帝に支配されているし、アイール人の間でも首長より賢者が幅をきかせ、言うまでもなく異能者は国家元首より強い権力をふるっていた(過去形になりつつあるとはいえ)。

別に、この物語はフェミニズム的ではないし、もちろん作者も女性ではないのに。
政治の世界に目を向けなくとも、文化的に女性が強い地域も多いようだ。
まあ、もちろん、男が遊んでくらしているのではないが、政治や交易は女の仕事になっている事が多く、そうでない国々でも、そのような仕事に、女性が男と同じくらい多く従事しているようだ。

いやいや、世界観だけではない!
物語を裏から彩る闇セダーイたちにしろ、どういうわけか、男より女の克也卯が目立つ気がする。
実際、アンドールを支配していたラヴィンも、イレイアンを支配しているサマエルも、いろいろ頑張って画策しているようでありながら、そしてランド・アル=ソアとのぶつかりあいは「戦闘として」激しいものでありながら、決着はかなりあっさりしているように見える。
ランフィアやモゲディーン、グラエンダルの方が、ずっとねちこく、露出も多い。
男の闇セダーイで同じくらい活躍するのは、闇セダーイの中ではどちらかというと下に見られているアズもディーンくらいではないだろうか。

だからこそ、ランド、ペリン、マットの三人が際立つという見方もできるだろう。
また、後半への折り返しがスタートしている物語のこのあたりから、マットの存在がどんどん大きくなってくる。
しかし、ランドやペリンと違って、決して戦士ではないマットの活躍は、とても癖があり、ある意味、エグウェーンやナイニーヴら、女性陣と同じくらい、面白い事になっていく。
そう、実は、主人公側も、男性陣の活躍は、女性陣に比べ、単純でいまひとつぱっとしないように見えるのだ。


竜騎争乱〈1〉嵐の来襲―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱〈2〉金の瞳の密使―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱〈3〉氷上の盟約―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱〈4〉精鋭たちの召喚―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱 (5) (ハヤカワ文庫 FT―時の車輪 (352))/ロバート・ジョーダン
2003年9月~2004年1月

『昇竜剣舞 1~7』〈〉時の車輪7





エモンズフィールドを出た5人の若者は、それぞれ重要な役割を果たすようになっていくわけだけれど、ある意味その中で最もユニークなのがマット・コーソンではないかと思う。

羊飼いのアル=ソア、鍛冶屋のペリンと違って、マットだけは、そういう呼ばれ方がない。
故郷では、父親の飼っている牛の乳搾りをした、とあるだけで、とくに(家業の)何を仕事にしていた、という経歴がないのだ。
むしろ、ことあるごとにいろいろな悪戯w3おしていたという事が自他共に記憶に残っているだけだ。

旅に出てからも、ランド・アル=ソアのように運命と闘う事もなければ、ペリンやエグウェーンのように、指導者たるべく努力していくということもなく、ナイニーヴのように激しく自分と戦うという面も持たない。

彼の稼業は、いってみれば、ギャンブルだ。
枯れについていくものも、最初は、彼のツキに引き寄せられたと語られている。
賭の結果、マットの人生は転がり続けていて、首にかけた絶対力をそらすメダルも、英雄蘇生(ヴァリーア)の角笛を吹いたことも、ルイディーンで古代の断片的な記憶のあつまりを手に入れたことも、全てはギャンブルの結果だと言っていい。

悪戯ずき、ちゃらんぽらん、ナンパ師、しかしナイニーヴにいわせると、一度約束した事は決して破らない、必ず守り通す男だという事だ。
マットには英雄としての重みや、苦しげな影はない。
いや、仮にあったとしても、笑い飛ばせる強さがある。
実に魅力的なキャラクターではないか。
自分自身も、人生も、笑って蹴飛ばせる男、マットは、本島にこの物語の中で希有なキャラクターだ。

その彼が、ランド・アル=ソアの依頼を受けてエレインやエグウェーンと接触し、非常な苦境に立つはめになる。
うち、ひとつはとんでもない女性とのラヴアフェアであり、もうひとつはエバウ・ダーに闇セダーイや闇の生き物が登場する事によって、マットや仲間自身が命を落とす瀬戸際に立つ事だ。
実際、何人かの仲間が命を落とす事になるが、その対処も受け止め方も、ランド・アル=ソアとマットでは真逆といっていい。

かつて、アイール人の恋人に、ランド・アル=ソアの影にいる、と評されたり、最後の戦い(ターモン・ガイ=ドン)で勝利の鍵を握ると予言されてたり、角笛を吹いたという(困った)事実があったり、マットの立ち位置はかなり微妙な者であり続けるのだが、そんな綱渡りができるのも、マットならではなのだろう。


昇竜剣舞〈1〉金色の夜明け―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈2〉反逆の代償―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈3〉戦士の帰還―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈4〉伝説の異能者―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈5〉“光りの要塞”陥落!―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈6〉識女の秘密―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈7〉剣の王冠―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2002年12月~2003年6月

『黒竜戦史 1~8』〈時の車輪6〉



ランド・アル=ソアが、ティア、ケーリエン、アンドールの三王国を掌中にし、一方で異能者(アエズ・セダーイ)が二つに分裂し、アイール人も二つに割れている状態となった中盤は、舞台となる範囲が広すぎるためか、なんとなく冗漫な印象を受ける。
どのキャラクターに視点をもっていくかにより、ケーリエン、シームリン(アンドール)、白い塔のあるタール・ヴァロン、分派した異能者が集まるサリダールに加え、エレインたちが向かうエバウ・ダー(アラフェル王国)までめまぐるしく場面が変わってしまう。
もちろん、登場人物はそれぞれ、別々に動いている!

まあ、このあたりは、大河小説の醍醐味という事ができるだろう。
とはいえ、渦の中心は基本的にランド・アル=ソアと、エグウェーンのままだ。


まず、エグウェーンはここで大きな転換点を迎える。
アイール人賢者のもとでの、夢見人の修行は半ばなのだが、サリダールに召還され、アミルリン位につくことになるからだ。
物語の中で述べられていくとおり、エグウェーンの絶対力が強いこと、だけではなく、竜王の再来であるランド・アル=ソアと同じ村の出身である事なども大きくものを言うほか、非常に若いというのも選ばれたポイント。
つまり、三派の異能者が対立しているサリダールで、どの派からもアミルリン位を出す事はできず、エグウェーンほど若ければ、容易に傀儡にできるという判断なわけだ。
従って、アミルリン位になっても、エグウェーンは「あたかも修練生であるかのように」有力者からは見られてしまうし、自分が操り人形だとみなされている事を、彼女は最初から自覚している。
このなかで、いかに真のアミルリン位になるかというのがエグウェーンの課題であり、彼女の戦いはまさにここから始まる。
この戦い、最新刊で一応の決着をみるわけだけど、そう思うと、ずいぶん長い戦いになるわけだ。
ランド・アル=ソアと比べても、彼女の戦いは常に人間が相手であり、そのために最も人間的に成長する事ができたのではないかと思われる。

一方、ランド・アル=ソアは、貴族を相手に政治の世界で戦うところから、今度は異能者を相手にしなければならなくなるというのが、ここ。
白い塔からも、サリダールからも、使節が派遣されてくるが、そもそも異能者は、絶対力を使える男に敵対しがちだし、あからさまに、竜王の再来を自分の手におさめようとしている。
とくに、赤アジャを警戒するのは男にとってあたりまえ。
しかも、シームリン郊外に、絶対力を使える男を集めているという問題もある。
指導者として任命したマツリム・テイムも信用するのは難しい。
つまり、主人公は自分の中にあるゼタ知力(そして竜王テラモン)だけでなく、多様な絶対力の使い手とも向き合わなくてはならなくなっている。

凄惨な決着が、デュマイの泉の戦いという形でつけられることになるけれども、これは、全界の崩壊以来、おそらくはじめて、絶対力が戦場で「相互に」使われた戦いのはずだ。
(一方的なものなら、すでにショーンチャン人が使っている)。
しかも、マツリム・テイムに率いられた絶対力を使う男、アシャ・マンの恐ろしさを際立たせるものでもある。
この聖竜士(アシャ・マン)が登場する事が、異能者(アエズ・セダーイ)の一方的な支配性を弱める、大きな一因となっているところは見逃せない。
実際、ランド・アル=ソアが異能者を、ある意味力ずくでおさえつけるようになるのは、この戦いに至る経緯が原因となるからだ。

ところで、時の車輪の世界は、ひとつの謎がある。
物語でしきりに言及される闇王、ここでも冒頭からあることを行うし、人格をもつ超越者として扱われ、かつ登場するが、これに対応する「創造主」がどのようなものなのか、全くわからないのだ。
闇王は、創造主に刃向かったものらしいけれども、創造主に人格があるようには描かれていない。
人々は、神をよぶかわりに「光」を用いるが、これもとくに人格があるようではない。
それどころか、教会や寺院もなければ、聖職者もおらず、決まった祈祷の言葉らしきものもない。
つまり、宗教らしいものがそこにはない。
(まあそのわりに、光の子らという集団のみ、存在するんだけど)。
ある意味、人々の意識の中にあるのは、悪の中心としての闇王であって、これに対抗するという形でしか、宗教活動的なものがないのだ。
であるにもかかわらず、闇王自体は、「創造主」に対抗するものと設定されてるんだよなあ。
なぜこういう、不思議な構造になっているのか、最後には解き明かされるのだろうか。
あるいは、光の子らや、異能者の中にも、多くの闇の信徒が存在するのは、この不思議な構造の影響なのかもしれない。


黒竜戦史〈1〉偽の竜王―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈2〉闇の密議―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈3〉白マントの野望―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈4〉太陽の宮殿―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈5〉白い塔の使節―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈6〉新アミルリン位誕生―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈7〉黒い塔の戦士―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈8〉竜王奪還―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2002年3月~2002年10月