手当たり次第の本棚 -329ページ目

『デビルマン』 衝撃のSF漫画

SFというのは、別に文学だけのものではないので、当然、漫画にもあり、映画にもあり、アニメにもあり、それ以外のメディアにも「SF」はいろいろあるわけなのだが、漫画(特にこの場合は、劇画)だと、読書のように想像する余地があり、かつビジュアルであるために特定のシーンがダイレクトに脳に飛び込んでくるという点で、本より映画より衝撃的になり得ると言ってもいい。

いや、今でこそ、過激に暴力的な漫画も、性転換だ同性愛だなどというものが扱われている漫画も珍しくはない。とは思うが、やはり『デビルマン』は凄いと思うよ。

まだ高校生の主人公が、いきなり、悪魔と合体してしまう!
恋人の両親は魔女狩りで責め殺され、恋人は首をもぎとられてしまう!
しかも、親友は、実は……。
壮絶に美しくグロテスクなラストシーン。

ジンメン、シレーヌ(とカイム)、サタン。
心臓がわしづかみにされるような、怪美の世界に、溺れてしまうのだ。なんといっても、生首になった美樹ちゃんの、奇妙な美しさ。最も美しい悪魔であろうシレーヌは、巨大なサイのようなカイムと合体した後の方が、むしろ美しい。
永井豪のペンは、不思議と、グロテスクな要素がなければ、美が際だたないようだ。

そして、なぜかこれは、別の媒体になってしまうと、魅力を減じるような気がするのだよな。

『デビルマン』は、やはり、漫画で読みましょう( ‥)/

『デビルマン』全5巻 (永井豪 作 講談社コミックス)


著者: 永井 豪, ダイナミックプロ
タイトル: デビルマン (1)



著者: 永井 豪, ダイナミックプロ
タイトル: デビルマン (5)

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〈剣客商売〉 江戸時代の剣客の日常

池波正太郎の三大シリーズといえば、鬼平、梅庵、剣客商売。どれをイチオシにするか、ファンが分かれるところだが、私の場合は、これ。これが一番。何と言っても、これは、「剣客の日常」が描かれてるところが、いいのだ。

剣豪小説なんていう言葉があるくらいで、時代小説の中でも、「剣に生きる男」、「剣に命をかけた男」の話は山ほどある。でも、大抵が、武芸者としての剣豪とか、仇討ちの話だったりするのだ。私の知る限り、江戸の市井に暮らす、一剣客の日常を描いた話なんてのは、他にない。

金持ちではないし、貧乏ってわけでもなくて、強いのは凄く強いんだけれども、それをひけらかすようなところがない。主人公本人にも、書き手にも。その淡々とした語り口が、実にすばらしい。

もっとも、主人公たる秋山父子は、時の老中田沼意次と懇意だったり、町方の岡っ引きの親分とつきあいがあったり、決して、「平均的な剣客」像ではないと思うけれども、それはそれで良いのだ。

ついでながら、ここに登場する田沼意次は、時代の先の先を見ている優れた政治家という形で描かれていて、ステロタイプな田沼像ばかり見てくるとそれがまた新鮮なのだ(笑)。

シリーズを通して読むと、作中での年月がたつにつれて、登場人物のまわりも、いきつけの店の女中と板前が所帯を持って別に店をかまえたり、親子ともども、結婚したり子供が生まれたり、人物が成長したり円熟していったりという変化があって、それらの変化が非常に自然で好感がもてる。

〈剣客商売〉(池波正太郎作 新潮文庫)


著者: 池波 正太郎
タイトル: 剣客商売

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『デルフィニア戦記』 というカリスマ的ライトノベル

略して、「デル戦」。大陸書房で原型の『王女グリンダ』でかなりのファン数をつかんだと聞いているが、中公ファンタジアから出るようになって、爆発的な人気を誇った! それはもう凄い勢いで、新刊が出るたびに、@nifty(当時NIFTY-SERVE) のファンタジー・SFフォーラムでは専用会議室(パソ通ご存じない方のために。ネットの掲示板のよーなものです)を設置せざるを得ないほど話題が盛り上がり、かつその専用会議室でも最低1日1度はチェックしてないと発言(書き込み)を追い切れないという凄まじさだったのだ。

フォーラムの世話人として、ほんと、あの当時は大変でした(゜゜
(↑実は「デル戦」を読み始めたのは、世話人としてその必要があったからだ)

いったい、どこがそんなによかったのか。

それは、一にも二にも、「キャラクター」だろうと思う。キャラに華がある。しかも一人ではない。それはもうたくさんの魅力的なキャラが登場するので、誰しも、
「このキャラが自分のイチオシ」
というのがみつけられるだろうと思う。
つまり、本質的にこれはキャラクター小説なのだな。

ストーリーも、まあ、面白いのだが、その面白さは、やはり、キャラの行動にひきずられている感があるのだ。「戦記」というからには、数カ国の政治的かけひき、戦争そのものが物語の中心ではあるのだが、たとえば、現実の歴史をもとに作られた『三国志』であるとか、あるいは一部の架空戦記のようにシミュレーションに特化した小説と同レベルで考えてはいけない。
正直、べつだん戦略的・戦術的発想を特に磨いていないような、私ですらも、
「まてまて、そこはちょっとヘンだろう」
とつっこめるところは、たくさんある。でも、この手の小説でそれをやるのは、野暮というものだ。

実は、「デル戦」の次に発表された『スカーレット・ウィザード』は、宇宙を舞台にしていたため、もともと設定の整合性などに神経質になりがちなSFファンが、
「あそこはだめ」
「ここがヘンすぎ」
とついついつっこんでしまい、ストーリーの面白味を感じる以前に、楽しむ姿勢を保てなくなってしまい、茅田砂胡作品への評価を下げた事があった。
これはSFファンの性として、ある意味仕方のない事なのだが、茅田作品の読み方としては、間違っていたのではないかと思う(^^;
(どうしても、それができないSFファンっていうのは、いるんだけどね)。

茅田砂胡作品は、自分にとっておいしいキャラをみつけて、それを楽しみながら読むのが一番( ‥)/

それさえできれば、あとはもう、華麗なキャラ世界に没頭して、ぐんぐん読めてしまうんだから。そして、もし、
「そんな読み方は嫌だ」
と思うなら、はなから読まない方が、良いかもしれない(笑)。

ところで、近日中に、どうも新作が電子・紙メディア両メディアで同時に出るらしい。
かつて「デル戦会議室」で気炎を上げたユーザーが、今、おおむねインターネットに流れているだろう事を思えば、新作がどういう風に受け入れられるか、ちょっと興味あるね。

『デルフィニア戦記 全18巻』(茅田砂胡作 C・Novels Fantasia)
『スカーレット・ウィザード』(茅田砂胡 C・Novels Fantasia)



著者: 茅田 砂胡
タイトル: 黄金の戦女神

タイトル: スカーレット・ウィザード〈1〉

タイトル: クラッシュ・プレイズ 嘆きのサイレン

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『エンダーのゲーム』 まだシリーズ続いてます

最近、『シャドウ・パペッツ』が出て、
「お~、まだエンダー続いてたんだ」
なんぞと思ったのだけど。いや実際、さりげなく新作が出てるからねえ。のわりに、不思議と〈エンダー・シリーズ〉という呼び方をあまり聞かない。たいてい「エンダーの続き」なんぞと呼ばれる。ハヤカワがシリーズタイトルをつけてないからか?

まあそれはともかく、『エンダーのゲーム』は、短編と、長編とがあるのだ。どちらが好みかは人それぞれだろうけれども、私は、短編の方がシャープな感じがする。(単に、短編を先に読んでるからかも)。

今でこそ、なんの不思議もなくなってしまったが、少年のみでコマンドを結成するなんてのが、ちょっと新鮮だったのだ(笑)。

それにしても、ほんと、何年続いてるのかな?
文庫の奥付を見たところ、長編『エンダーのゲーム』は初版が1987年。もっとも、その前にハードカバーで出てきたような気がするし、短編の事も考えると、やっぱり、20年近く前からっていう感じかな。

今読んでも、結構、新鮮。

『エンダーのゲーム』(オーソン・スコット・カード作 ハヤカワ文庫SF)


著者: オースン・スコット・カード, 野口 幸夫
タイトル: エンダーのゲーム

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『バイティング・ザ・サン』

「太陽に噛みつくな、旅人よ。さもなくば、その口を焼き切らん」(本文より)
これは、タニス・リーが70年代半ばに書いた本だ。今から30年前! その当時は、いろいろと、過激なものが世に出たようなのだけど、今見ても「過激だ」と言えるものがどの程度あるだろう。でも、この作品は間違いなく、過激だ。

今でこそSFでは、遺伝子レベルから自分の(あるいは子供の)人体をいじくって、奇想天外な外見にしたり、凄い能力を持たせたりする事なんぞは、当たり前になってしまっている。でも、75年に、タニス・リーはすでにそういう世界を書いていたわけだ。

『バイティング・ザ・サン』の世界では、人生は3つの期間にわけられる。
 ○ 催眠教育式の学校に通う、子供時代。
 ○ ジャングと呼ばれる過激な若者時代。最もクリエイティヴな時期。
 ○ 落ち着き、安定した大人。
そして、彼らは、死ねない。というのも、死んだってすぐ、別の肉体が与えられるから。そういう意味では、「死」はあまり意味を持たない。なんたって、好きな体を手に入れるために、簡単に自殺する事が、平気で行われてしまうのだ! しかも、自殺した体は、ほんの1日前に手に入れたものだったりするのだ。うひゃあ。

また一方で、生産的な活動は、全て疑似ロボット(外見は人間そっくりの肉体を持つけれども、魂はない人工物)に、握られている。人間は、なーんにも、する事がないのだ。大人になると、希望すれば仕事をする事ができるらしいが、それもたわいのないもので、芸術活動を含め、単に「こういうのやって」と機械に指示するだけ。ましてや、ジャング(若者)は、思うさま、きてれつな体にシースルーの衣服や大量のアクセサリーを飾り付け、酔っぱらい、セックスをし、都市や自分自身を破壊する活動をする。ちなみに、舞台は、たくさんの活火山があるため、火山活動の副産物から人間や生活環境を守るために作られたドーム都市である。んで、多少の破壊活動をしても、罪にはならないのだ!

ドーム都市、働かなくてもいい世界(ロボットによるフルサポート)などは、ほんっと、70年代SFの典型みたいなところもあるけど、要するに、なんにもしなくても誰かがやってくれて、なんの責任も取られなくて、そのかわり、実用的な事は全くやらせてもらえないって、永遠に、子供時代が続くようなものだよね。しかも、なんでも欲しいものは手にはいっちゃう。貧富の差なんてありようがないのだ、だって、支払いは、誰でもできるもの。特定ブースで、ちょっとヒステリックなまでに感情をこめて、「ありがとう! ありがとう!」と叫びまくれば良いのだ(^^; すっげー。その感情エネルギーがエネルギー通貨として扱われるっていうのだから、これはユニーク。いや、そうじゃなくて(笑)。

小さな子供のように、安全に保護された世界であるというだけでなく、そこには、努力目標がなにひとつないのだ。しかも、どんなにそれにうんざりしたとしても、永遠の死を味わう事はできないのだ!(笑)

ある意味、これは、すごいホラーじゃないか?
何でもたやすく手に入るっていうのは、達成感がゼロだということ。生きる目標ってなんですか、になっちゃう。そして死ぬことができないんだよ。(自殺してもすぐさま生き返らされちゃうんだからね)。

そういう、絢爛豪華な地獄を舞台にして、ストーリーはどうなのかというと、それ自体は、「自立しようとする若者の物語」だ。むちゃくちゃが許されるこの世界の基準ですら、むっちゃくちゃな事を次々にしでかす主人公。ここまで八方ふさがりな状態で、どうやって人間的自立をはかるのか、というのが目玉。しかも、「あくまでも人間を保護しようとする」疑似ロボットの、巧妙な陰謀まであり、最後の最後まで、読んでて飽きる事がない。

そういえば、「主人公」って書いたけど、この主人公には名前がないのだ! ありですか、そんなの(‥

あり、らしいです(笑)。名前がなくても、一人称で語られるこの小説は問題なく最後までぶっとおしで読めます。面白いよ。ほんとに絶望的な状況を、もがいて打破しようとしていく主人公の姿、それだけで十分共感できます。

一応、主人公は女性なので(一応とつけなきゃいけないのは、この世界では性別だって自由自在だから)、それなりのロマンスらしきものも、用意されてる。ロマンスというには、とてもひねくれてるかもしれないが、ひねくれた飾りを全部とっぱらえば、根幹はプラトニックな、純粋なロマンスだよ。その相手となる、ハッタは、私が好きなキャラだ。

どんな美しい肉体でも思いのままというこの世界で、なーぜーか、異様なモンスター的肉体(真っ赤な風船で足が3本ついてる、みたいな)ばかりを選ぶハッタ。どんどん違う相手と結婚するのが普通のジャングの間にあって、なぜか主人公一筋! 奇怪な体である事をやめないのは、ひたすら、
「美しい体じゃなく、自分という存在そのものを愛してほしいから」
という、その世界の通念にまっこうから反逆するみたいな、一途な思いを持っているのだ。ていうか、けなげ。

今まで、タニス・リーの作品をいくつも出してるハヤカワで、なぜ今までこれが翻訳されなかったのか、ほんと、不思議。(ハヤカワ好みのSFだと思うんだけどねー)。

バイティング・ザ・サン 』(タニス・リー作 産業編集センター)

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『時計じかけのオレンジ』 とっても古くて偉大な、あれ

『時計じかけのオレンジ』といえば、70年代の名作の1つである! といっても、映画がぬきんでて有名なのだと思うが、小説の方もスゴイのだ。

そうですねー、70年代のものであるから……。今、40代後半以上の作家や漫画家などが、おりにふれて、作品のところどころに、『時計じかけのオレンジ』を登場させる事などが、まま、あるのだ(笑)。子供の頃の私は、むしろ、そういうところに出てきたのを、
「これはナニ」
と、灰色の脳細胞の片隅にとどめていたという記憶がある。それに、タイトル自体、インパクトあるよね。
オレンジといえば、オレンジ色でジューシィで甘酸っぱくておいしい!
なのに、時計じかけ……?(食べ物としては許せん!)
もし、オレンジをむいて、中からゼンマイと歯車とネジがあふれだしてきたら、すごく悲しい。
「だから、時計じかけのオレンジって……ナニ」
と、子供心に、ツッコミを入れつつ(?)、なんだろーなんだろーと思っていたのだ。後になって本を読んだし、映画も、どこぞの上映会かなにかで見たのだったかな。

70年代といえば、ベトナム戦争末期(終結が1975年)。アメリカは社会不安があって、若者の不満は日々バクハツ、という一方で、
「平和にいこうよ、戦争なんかまっぴらだ!」
というムーブメントがあったりなどなど、ともかく揺れ動いていた時代だった。らしい。
そういう社会を背景にしているせいか、『時計じかけのオレンジ』は、カゲキな作品なのだ。
ナグル! ウバウ! バクハツする!
んでもって、バックには、ベートーベンが流れちゃったりとかね。

そういえば、手元には持ってないので、最近長らく再読していないが、BOOK OFFあたりで探してみても良いな(笑)。

そういえば『時計じかけのオレンジ』と並び立つ名作として『博士の異常な愛情』というのもありましたね( ‥)/

『時計じかけのオレンジ』(アントニー・バージェス作 ハヤカワ文庫NV)
『時計じかけのオレンジ』(キューブリック監督 ワーナー・ブラザース)

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『伝道の書に捧げる薔薇』

ロジャー・ゼラズニイ(冥福を祈る)には、ずいぶんといろいろなタイプのSF作品があり、それぞれに面白いのだが、『伝道の書に捧げる薔薇』は、他のゼラズニイ作品には見られない、ユニークな性質がある。それは、これのテーマが、プラトニック・ラヴであるという事。初恋は実らないというが(いや、主人公にとって初恋だったかは知らないが)、非常に切なく、そして美しい。

私がこれを読んだのは、中学の時が最初かなあ。子供の頃は無論のこと、中学当時から今に至るまで、恋愛ものはキライ、というか、興味がもてないのだが、この短編だけは違うぞ!

あ、プラトニック・ラヴといってもね。ゼラズニイの事なので!

相手は異星人の娘なのだ。しかも、神様に舞を捧げるという勤めについているらしい。<主人公の理解したところによれば
ともかく主人公は、思いを伝えるために、全く異なる文化という壁を、なんとか乗り越えなくてはならない。だが、使える時間は、「調査期間」という枠があるため、非常に限られているので、なんとか彼が思いついた案というのが……と、それ以上書くとネタバレになってしまう。

ここで登場する薔薇は、主人公の出身国である、アメリカ合衆国で品種改良された薔薇。その名も、アメリカン・ビューティ。たとえようもなくピュアな赤。その薔薇のイメージが、ほんとうに切なく美しい。

『伝道の書に捧げる薔薇』(ロジャー・ゼラズニイ作 ハヤカワ文庫SF)

〈楽園の魔女たち〉 その魔法

昨今の、若者向けファンタジイというと、魔法に魔法に魔法の大流行というか大サービスというか大安売りという感じで、やや、「魔術マニア」(言っておくが、オタクではない)のケがある私は、正直、ヘキエキするところがあるのだ。

というのは、そのほとんどが、およそ20年前から日本でもはやりだした、RPGの魔法の影響を大きく受けているからなんだよ。

RPGで使う魔法っていうのは、ゲームを進めるために都合良く構築されているものなんだ。だから、「敵役が使うのにふさわしいもの」「正義の味方が使うのにふさわしいもの」とおおざっぱに二分しておいて、そこから改めてシステムを発展させる。
「黒魔術」「白魔術」「赤魔術」なんていうふうに作っていくかと思えば、「攻撃魔法」「防御魔法」にわけてみたりとか、「(魔術師の)魔法」と「僧侶魔法」にしてみたりとか。……はははは。

それもまた、完全に間違いだとは言わないけど、魔法って、本来そういうものじゃない。どちらかとゆーと、科学技術と同じで、単なる「技術」なのだ。科学だって、原子力発電で家を暖房してくれるかと思えば、原子力爆弾で都市を破壊したりするのだが、だからといって、「黒科学」と「白科学」にしたりとか、「攻撃科学」と「防御科学」にしたりしますかね? ま、そゆこと。

魔力とは、パワーである。魔術とは、そのパワーを上手に扱い利用するための技術である。魔術師とは、その技術を身につけた人。

これをシンプルにそのままとらえ、なおかつ、近代魔術の考え方をさりげなく噛み砕いて作中で説明し、魅力的な魔術師たちをキャラクターとして動かしてるのが、〈楽園の魔女たち〉で、いやあ、最初読んだ時はぶっとびました(笑)。若者向けファンタジイ、いわゆるライトノベルに、こんな作品があるとは、思ってもみなかった事であるよ( ‥)/
魔術理論書などでは、イマイチわかりにくい、グラウンディングとか、パスワーキングが、いやーわかりやすく書いてあること(笑)。下手な魔術書で実践しよーなんて思うより、楽園の魔女たちの真似した方が良いかもだ。特に、彼女らが最初に師匠から指示される修行なんぞは、絶対、実践的ですぞ。

保証します( ‥)/

もっとも、作品はきっちりとストーリー主体で、キャラはすごくたってるけど、単なるキャラ小説ではない、もちろん、魔法の説明魔術の説明なんてのも、まったくうざったくない。そこがバランス良く、面白いんだけどね(笑)。

〈楽園の魔女〉シリーズ (樹川さとみ作 コバルト文庫)


著者: 樹川 さとみ
タイトル: 楽園の魔女たち―賢者からの手紙

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『世界毒舌大辞典』

清水義範が『ほめ言葉大事典』という本を出して、わりかし評判になっていると聞いて、思い出したのが、これ。

基本的に、他人の悪口を言うのはいや、と思っていても、何かの時に、誰かと一緒に、第三者をクサしている事は、よくある。その第三者が、そのような評価に値するかどうかは別として、やっぱり、そういうコトをするのは、後から考えると自分にウンザリしてしまうし、かといって、全くそういうコトを考えないというのも、ストレスたまりまくりで、自分の心の健康によろしくない!

そういう時に役立つのが、この辞典なのだ(笑)。

悪口ではなく、毒舌なので、適当に拾い読みをしていて、(にや~)とする。フランスの本だから、訳されていても、日本人には、「なんじゃこりゃあ?」と、ぴんと来ないものもあるけど、ほんとに、ニヤリとできるものもある。

私が好きなもののひとつは、これ、これ。(点線内、表題の本から引用)
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神は無からすべてを作った。しかし元の無が透けて見えるのだ。(ポール・ヴァレリー)
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人間、善悪両方の要素があるから人間なんだよね。ジャアクなところがなければ、他の人への理解も生まれないと思うし。他の人の欠点を受け入れる事だってできやしない。まあでも、自分の悪いところを必要以上に見せる事はないと思いつつ、全く見せずにいるなんてのは偽善になってしまうだろう!

てきとーなところでバランスを取るために、たまにはこんな本をつらつらと……。

世界毒舌大事典』(ジェローム・デュアメル著 大修館書店)


著者: ジェローム デュアメル, 吉田 城
タイトル: 世界毒舌大辞典

『ケルトの木の知恵』

ケルトといえば、ここ10年ですっかりメジャーになったと思う。子供の頃には、まだまだマイナーだったんだけど、最近はケルト関係の本を探すのに苦労はしない。こんな本まで、比較的簡単に手に入るんだから凄いものだ。

さて。この本って、すごくお得なのだ!(笑)

まず、写真集として楽しむ事ができる。いろいろな、木々の写真。全てのページに、木を中心としたカラーの風景写真が載っていて、それを見ているだけでも、目が休まる感じ。

次は、木の図鑑として楽しむ事ができる。それぞれの木について、どういう土地にはえるのか、どういう外観で、どんな花や葉をつけるのかなど、わかりやすい記事が載っている。また、生活の中でどんな風に利用されてきたかも、書いてあって、面白い。

三番目に、ケルトの神秘ガイド。ケルトは、木を崇めてきた民族なんだよね。ドルイドはそもそも「樫の智慧」を意味しているという話もあるし、さまざまな木がいろいろな理由で大切にされているわけだ。日本の神木ともちょっと似ているけれども、どの木がどんな風にケルトの精神生活と関わってきたのか、詳しく説明されてるのだ。

四番目に、薬草治療、アロマセラピー、瞑想療法などで、どういう風に用いるかが書いてある。それらの木を使ったお呪いの方法まで! たとえば、現代魔女術などにいそしむ人には、すごく便利な本じゃないかな。
照応表(シンボルとしてどのようなものと関係があるかという表。魔術、占星術などで使用)もついてるしね。

各章は、ケルトの「木のカレンダー」に従って配置されているので、その点からも面白い。

でもやっぱり、ぱらぱらとページをめくりながら、ぼうっと写真を見るのが一番楽しいかもな!

『ケルトの木の知恵』 (ジェーン・ギフォード文・写真 東京書籍)


著者: Jane Gifford, 井村 君江, 倉嶋 雅人, ジェーン ギフォード
タイトル: ケルトの木の知恵―神秘、魔法、癒し