『神竜光臨 1~5』〈時の車輪3〉 | 手当たり次第の本棚

『神竜光臨 1~5』〈時の車輪3〉



第2部で進む道がbらばらとなった仲間が第3部ラストで再び(偶然にも)集結してくる。
そして、ランド・アル=ソアがとうとう竜王の再来として名乗りをあげるのがここであり、まさしくシリーズ前半のクライマックスと言えるだろう。

異能者(アエズ・セダーイ)の技の片鱗が見えることも、ペリンと狼の絆についても垣間見える事が面白いうえ、いよいよアイール人が登場し、この後非常に重要なキャラクターとなるアビエンダ、そしてファイールも加わってくるなど、注目すべきところはいろいろとある。

しかし、何より重要なのは、ここで大きく、夢の世界(テル=アラン=リオド)が登場してくる事だろう。
エグウェーンが夢見人としての能力を発揮しだすだけでなく、門石から通じる異世界が夢の世界と関連あるのか、また、狼と夢の世界はどういうかかわりなのか、ユニークであり、興味深くもある要素だ。
とくに、狼との関わりは、ほんとにユニークだと思う。
動物が、一種の群体、あるいは集合意識を持つというような設定は、他の作品でもないことはないが、そこに「夢の世界」を持って来ているところは本島に面白い。
ジョーダンはいったい、どこからこの着想を得たのだろう。
単に夢の世界ということであれば、オセアニアの神話をイメージさせるが……。

また、このテル=アラン=リオドと、修練生が異能者候補となる時に体験する異世界とは、何か関係があるのか。

キャラクターにとっての現実世界と、これら(おそらくは複数)の異世界との関わりは、最終的にどのように解き明かされていくのだろう。
世界そのものも、歴史模様に関する説明で、多数存在する、多元宇宙である事が示唆されている。
この難解な要素を、作者亡きあと、後継者がどのように用いるかも、注目したいところだ。

また、狼について考えれば、ケルト・ゲルマンの伝承における狼より、なんとはなしに、北アメリカの伝承の方がモチーフまたは元ネタとして、大きく取り入れられているように思う。
つまり、ゲルマン系の伝承では、狼は戦や戦士と強く結びつけられるものだが、北アメリカでは、導き手として現れる事が多いようだ。
この特徴は、たとえばエディングスも、〈ベルガリアード〉で使用しているけれど、ペリンと跳躍(ホッパー)との関係、そしてそこに関連する夢の世界の方がより巧みであり、非ゲルマン的だ。

小さいところでいうと、石並べ遊びと呼ばれているものが、ここで明らかに、白と黒の石を使う盤ゲームで、石を使った陣取り遊びであえる事が描写されており、東アジアの人間であれば、「ああ、これは碁だな」と連想する。
ティアの下町で、ぬかるみの中を歩くために用いる「木の板」は、下駄みたいだ。
こういう、非ゲルマン・ケルト的というか、アジア的な要素が、実に違和感なく作品のメインを占める中世ヨーロッパ風の世界に溶け込んでいるところも、他のアメリカ人ファンタジイ作家が描くような、非ゲルマン的要素を取り入れた作品に比べ、出色の出来だと思う。
違和感を感じさせないだけでなく、それが存在する事で、自然に、ユニークな世界を形作っているからだ。

一方、非常にアメリカ的な部分もある。
それは、登場人物たちの「自由」志向にあらわれていると思う。
ランドも、ナイニーヴも、エグウェーンも、実にしばしば、「利用されるのはたくさん」と考えている。
たしかに、物語の登場人物は、その物語中の、より高次元な存在(たとえば、運命。ここでは歴史模様など)の、手駒的な扱われ方をするだろう。
しかし、その状態を、やや低位の存在である、異能者と白い塔であるとか、闇王の手先である闇セダーイなどに仮託し、操られたくない、利用されたくない、と考える傾向は、アジアにもヨーロッパにも、あまりないんじゃないかと感じられる。
時として傲慢なまでに、そして自己中心的なまでに、自由である事を渇望する。
ある能力を使いこなすための訓練や知識のようなものを対価としてえられる状況であってすら、他人の目的に奉仕するという事をしたがらない。
こういう部分は、中近東におけるアメリカの動き方などと、なにやら相通じる臭いを感じてしまうんだよねえ。


神竜光臨〈1〉魔人襲来!―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈2〉白き狩人―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈3〉夢幻世界へ―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈4〉闇の妖犬―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈5〉神剣カランドア―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
1999年5月~2000年1月