『針いっぽん』〈鎌倉河岸捕物控19〉 | 手当たり次第の本棚

『針いっぽん』〈鎌倉河岸捕物控19〉


佐伯泰英が執筆中の時代小説シリーズは何本もあるのだけれど、もっとも庶民よりの物語がこのシリーズだろう。
作者はよほど剣術家が好きとみえて、どのシリーズも、主人公は剣豪だ。
従って、表向きは商人だったりしても、本体は侍であり、武術、とくに剣の達人なわけだ。
ただ、このシリーズのみが、主人公はまっとうな町人なのだ。
まあ、それでも、剣術の道場に通っていて、剣の達人であることにかわりはないのがご愛敬だけれど、政次の前身は常々語られるとおり、老舗の呉服屋である松坂屋の手代であり、岡っ引きの親分となっても、その時につちかわれた気風は変わっていないとされている。
剣術はあくまでも余技。
市井の暮らしと、そこで起きる事件を扱うというのがテーマ菜わけだね。

そんななか、しほが子供を宿し、まもなく生まれようかというタイミングとなっている。
妊娠・出産となれば、誰がなんといおうと、女性の独壇場であって、男はちょっとはなれたところでうろうろするしかないが、まさしく本巻は、その前段階(笑)。
いまでも、女性が出産を控えれば、母親や女友達(あくまでも女性たち。父親や男の友人知人は、夫を先頭にほとんどなにもできない?)
彼女らが、産着を縫ったり(いまなら買って贈ったり)、準備を整えることになる。
そう、いまなら既製品を買う事の方が多いだろうけど、江戸時代はまさしく、時前で縫わないといけないんだね。

たとえば、『耳囊』にも、琴を習いたいと願った娘に、女主人が、まず裁縫などが立派にできるようになれ、とさとしたエピソードが載せられている。
もうともかく、この時代は、裁縫のひとつもできないでは女性はすまされなかったし、逆に、裁縫が上手ならば、女でひとつでもなんとか暮らしていく事が可能だったようだ。

しほが、まさしく、「針」をふるうことが必要な時期に、市井とは全く別の女の世界を重ねるという仕掛けをしているのが本巻の事件だけれど、女の世界とはいえ、一見まるで真逆のものを、「針」でつなげているところが面白いし、その「針」の意味も、多重なものがこめられている。
「針いっぽん」に象徴されることのうち、最も悪いものが、殺人事件に結びつけられ、同じ「針いっぽん」が間近に迫る出産という嬉しい出来事にも深く結びついていく。

構図としてわかりやすくもあり、真逆のものを結びつける面白さもあり、決して悲劇だけではなく、明るく楽しい要素も必ず盛り込んでくるのが佐伯作品で、本巻はその面目躍如と言えるだろう。


針いっぽん―鎌倉河岸捕物控〈19の巻〉 (時代小説文庫)/佐伯 泰英
2011年11月18日初版