『飛竜雷天 (上下)』〈時の車輪12〉 | 手当たり次第の本棚

『飛竜雷天 (上下)』〈時の車輪12〉



作者の急逝により、「最終巻(翻訳でいうと第12部)を残すのみ」と言われていた〈時の車輪〉、なんと〈ミストボーン〉三部作を世に送り出したサンダースンの手で完成されるというニュースが入ってきたのはいつ頃だっただろうか。

しかも、長らく同シリーズの翻訳を手がけていた翻訳家まで失うという事態、いったいどうなるのかと思っていたが、まず結論から言おう。

このシリーズはやはり面白かった。一気に読んでしまわないと我慢できない内容、そしてドライブ感。
さらに、訳文にも全く違和感がなかった。
書き手も訳し手もかわっているのになんら違和感をおぼえなかったというのは、とても凄い。
それだけ、両者に、このシリーズに対する愛着があり、細心の注意をはらって書き綴られたからだと思う。
翻訳されるシリーズは、途中で訳者がかわる事があるが、そうすると、登場人物や用語の表記が変わってしまったり、文章のリズムが変わったり、いろいろな要素から、それまでの「翻訳による世界」が歪んでしまい、げんなりしてしまう事が多々ある。
これは、作家はもちろん、訳者もクリエイターであり、独自の特徴をそなえた文章を書くのが普通だと考えれば、違和感が生じる方がむしろ普通なのだ。
だからこそ、それがまったく感じられないというのは、凄いと思う。

さて、本シリーズは登場人物が多く、群像小説となっているのだけれど、作者(そして訳者)の死により途絶していた物語で、一番気にかかっていたのは、キャラクターでいうとエグウェーン、場所でいうと白い塔だった。
もちろん、主要人物の周辺はどこも緊迫していたが、その中でもっとも窮地に追い詰められているのが、エグウェーンであったかと思うからだ。
なにしろ、白い塔の中にとらわれているも同然の、敵の掌中でほとんど身動きがとれないのに、独力で立ち向かっているところだったわけだから。
しかも、ほとんど、外部からの救出や手助けは断っていたわけだ。
どうなるエグウェーン!
そして白い塔と、叛逆した異能者(アエズ・セダーイ)の一党は、分裂したままに終わるのか。
エライダはどこまで暴君になっていくのか。
黒アジャはどこまで浸透しているのか。

このスリリングな状況は、本巻でみごとに解決する。
ここだけで、カタルシスをおぼえる展開と言って良いと思う。
ここに注目し、固唾を飲んでいた人は、まず、納得できるんじゃないか。
最もネタバレしてはならない部分だろうから、ただひとこと。
「これぞアメリカのエンタテイメント!」
本巻は、エグウェーンの巻といってもいいくらいだ。
いささか懐かしいキャラクターが、凄いキーパーソン、そのうえとんでもない秘密を抱えていたり、実にわくわくドキドキだった。

しかし、もちろん、それだけではない。
シリーズ半ばから暗さを増してきたランド・アル=ソア、今回はどん底まで落ちるんじゃないかという運びなのだが、彼の心のうちにも、大きな変化が訪れる。
また、前巻(第11部)で、生存が示唆されたモイレインをめざす動きも大きくなってきた。
主人公(たち)を旅に導き出したモイレイン、ここでまた大きくクローズアップされてきている。

マットやペリン、ナイニーヴ、ミン、アビエンダ。そしてトゥオン。
彼ら彼女らも、 動いていくし、エグウェーンや白い塔の関連以外でも、かなり、懐かしいキャラクターが何人も復活して顔を出している。
あえていうと、今回直接動きが描写されなかった中心人物は、エレインくらいではないかと思う。

さて、最終といわれた第12巻(第12部)であるけれども、後継作者となったサンダースンによれば、「最終部は三部構成」だそうだ。
つまり、実質は、第12が終わりではなく、第14まであると考えれば良さそうだ。

第11部までは原書の1巻を4~5冊に分冊して発刊していたハヤカワ文庫FT、今回はそこまでの分冊はせずに、上下巻で出してくれた。
1冊はとても分厚くなるが(しかしハヤカワ文庫としては、まあ普通サイズ)、やはり一気に読める方が嬉しい。
アメリカでは次がすでに出ているとのことでもあり、絶対に断絶することなく、早めに次の巻を翻訳して出してほしいものだ。


飛竜雷天 (上): 雷雲の到来 (時の車輪)/ロバート・ジョーダン
飛竜雷天 (下): 光の集結 (時の車輪)/ロバート・ジョーダン
2011年11月25日初版