『エスパイ』 小松左京を偲ぶ | 手当たり次第の本棚

『エスパイ』 小松左京を偲ぶ


小松左京が亡くなった……!
お年を考えればまあ……ねえ、とは思うが、日本SF界第一世代の大御所が亡くなられたという報に、いささか虚脱している。
正直なところをいうと、私の愛読書の中に小松左京作品は入っていない。
もちろん、読んでるけれど、そこまで好みにぴたりとはまる作品ではなかった、ということなのかもしれない。
だが、すごーく印象に残っている一作品があるのだ。
それが、この『エスパイ』。

おそらく、大方の追悼記事でとりあげられるのは、今年3月の大震災もあって、『日本沈没』だろうし(そもそもベストセラーで映像化もされてるし)、『さよならジュピター』もあげられるだろうし、『果てしなき流れのはてに』とか、まあいろいろあるだろうと思うんだが、その中で、実は、『エスパイ』、そういう名作ラインからはずれたものなのだ。
なんといっても、まず、第一にこれは娯楽が前面に出た物語だ。
タイトルからして、それを証明している。

エスパイ。
レスパー+スパイ、だからエスパイ。
ハルキ文庫版のこの表紙などはなかなかいいね。
いかにも、和製ジェームズ・ボンドっぽい。

そもそも、ここに登場するエスパーというものが、今は流行らない気がするうえ、超能力者であるということと、それがスパイ活動をするというのは、凄くありがちに思える。
冷戦時代には、実際に米ソ(とくにソ連)でそういう研究が行われてたなんて噂もある。
しかし、ちょうどジュヴナイルであるとか、そもそも発表された本国で出版コードが厳しく、性的描写がほとんどないようなSFばかりを読んでいた中学生のみぎり、私がはじめて手にした小松左京作品がこれであり、衝撃を受けたわけだ。

それは、文章も内容もさることながら、「ちょっと大人のシーンが入った」作品だったからだ。
ボンドガールのような美人スパイが登場したというインパクトが、いまだに、(きっと本来とは違う意味合いで)
「あれは凄かった……(呆然)」
という印象となって残っているのだ。
まあ、あれだ、美人キャラのボインがどうしても思い浮かぶのは読んだのがそういう年頃だったせい。きっとそのせい。

しかし、この作品があるからこそ、小松左京作品というものが、決して「科学的に正確な」とか、「ハードな」だけではない、ちゃんと、エンタテイメント性も高い作品なのだと私は認識できているんだろうなあ、と改めて実感する。
SFというと、ハードSFが至高、それ以外は認めんっ みたいな人がたまにいるんだけれど、やはりそれだけでは面白くないと思う。
そして、小松左京作品のエンタテイメント性も、もっと評価されて良いように思う。


エスパイ (ハルキ文庫)/小松 左京