『絡新婦の理』
絡新婦……じょろうぐも。
不思議と、蜘蛛には「女」のイメージがついてまわる。
しかも、きまってそれは、マイナスイメージにつながる。
たとえば、そもそもジョロウグモという名前。
女郎ですよ( ‥)/
ぶっちゃけ、売春婦をさす言葉だよなあ。
英語でも、ブラックウィドウなんてのがあって、こちらは、直訳すれば「黒い後家さん」。
そもそも後家という言葉だってフェミニストには攻撃されちゃいそうだが、それがさらに、黒いのです。
神話にも、ある。
ギリシア神話には、有名な、アラクネーの話があるよな?
機織りがそれは巧みだったアラクネーという娘は、あまりにもそれを自慢したため、天罰によって蜘蛛にかえられてしまうのだ。
まあ確かに。
蜘蛛という虫は、(昆虫の世界では他にも例のある事だが)交合したら、「夫」を食べてしまうのだそうな。
すなわち、雄は、子孫を作るために、タネを提供するだけでなく、卵をはぐくむための栄養にされちゃうのだな。
う~ん……やっぱ、イメージ的には、なんとなく怖いもの、なのだろうか。
さて、ここまでの「蜘蛛にまつわるいろいろ」をまとめると。
女郎(売春婦)、
後家、
機織り、
子孫を残すために(女が)男を一方的に利用する(殺す)、
こんなところだろうか?
だが、これは翻ってみると、古代の女性原理が潜んでいるイメージでもある。
すなわち、
(より良い)子孫を残すためにさまざまな男と交わる、
一家の中心は女性であり、男性は副次的な存在であるか、常にゲストとして扱われる、
糸を紡ぐこと、機を織る事は女性の「神聖な」仕事であり、
子孫を残したり共同体の繁栄(豊饒)のため、男(王)は、殺されなくてはならない。
こういった、蜘蛛にまつわるイメージを、徹底的に利用したミステリが本作である。
上にあげたいろいろな「対応するイメージ」は、あえて作中にあるような日本のものではなく、一般的に神話学で論じられるものをピックアップしたのだけれども、全て、見事な形で物語の中に投入されている要素だ。
また、(魔)女が魔法をかける時、しばしば円周上を動く、あるいは螺旋の動きをするということも、
蜘蛛の巣の構造と対応するイメージであるだろう。
さらに、本作の中ではあえて言及されていないが、機を織ったり、糸を紡ぐ女神は、しばしば、「運命」とも関連づけられているんだよなあ。
これも有名どころをあげれば、ギリシアのアトロポスという三人組の女神がいる。
人間の運命を定めるため、アトロポスは、糸を紡ぎ、それを断ち切るのだ。
本作では、最後の最後まで姿があらわにならない真犯人(?)である「蜘蛛」が、
まさしく「蜘蛛の巣のような構造の」罠をはりめぐらせ、
その糸によって「人を操り」、
古い女系家族と、それに対立する中世以降の家父長的家族の「ことわり」のぶつかりあいに勝利するため、「魔法をかける」のだ。
その渦中、フェミニズムも非常に面白く用いられており、大変面白い。
面白さの点では、前巻『鉄鼠の檻』にまさるとも劣らないが、
日本人になじみ深いようでいて、実はなじみにくい仏教という世界ではなく、
男の論理と女の論理の対立という、非常に現代的なテーマが扱われているだけに、こちらの方が自然に物語へのめりこめそうに思う。
とくに、『狂骨の夢』 で登場した降旗のラインを通じ、男性優位的なフロイト学派の理論を女性の、いや、本巻のタイトルにしたがうなら、「絡新婦の」論理で突き崩していくくだりなどは、実に爽快とも言える。
正直なところ、日本における蜘蛛と水のかかわりに関する部分など、いささか、強引というか、未消化に感じられる部分もあるのだけれど、このミステリは、ほんとうに面白い。
知的な刺激を受けるエンタテイメントだ。
京極 夏彦
絡新婦の理
不思議と、蜘蛛には「女」のイメージがついてまわる。
しかも、きまってそれは、マイナスイメージにつながる。
たとえば、そもそもジョロウグモという名前。
女郎ですよ( ‥)/
ぶっちゃけ、売春婦をさす言葉だよなあ。
英語でも、ブラックウィドウなんてのがあって、こちらは、直訳すれば「黒い後家さん」。
そもそも後家という言葉だってフェミニストには攻撃されちゃいそうだが、それがさらに、黒いのです。
神話にも、ある。
ギリシア神話には、有名な、アラクネーの話があるよな?
機織りがそれは巧みだったアラクネーという娘は、あまりにもそれを自慢したため、天罰によって蜘蛛にかえられてしまうのだ。
まあ確かに。
蜘蛛という虫は、(昆虫の世界では他にも例のある事だが)交合したら、「夫」を食べてしまうのだそうな。
すなわち、雄は、子孫を作るために、タネを提供するだけでなく、卵をはぐくむための栄養にされちゃうのだな。
う~ん……やっぱ、イメージ的には、なんとなく怖いもの、なのだろうか。
さて、ここまでの「蜘蛛にまつわるいろいろ」をまとめると。
女郎(売春婦)、
後家、
機織り、
子孫を残すために(女が)男を一方的に利用する(殺す)、
こんなところだろうか?
だが、これは翻ってみると、古代の女性原理が潜んでいるイメージでもある。
すなわち、
(より良い)子孫を残すためにさまざまな男と交わる、
一家の中心は女性であり、男性は副次的な存在であるか、常にゲストとして扱われる、
糸を紡ぐこと、機を織る事は女性の「神聖な」仕事であり、
子孫を残したり共同体の繁栄(豊饒)のため、男(王)は、殺されなくてはならない。
こういった、蜘蛛にまつわるイメージを、徹底的に利用したミステリが本作である。
上にあげたいろいろな「対応するイメージ」は、あえて作中にあるような日本のものではなく、一般的に神話学で論じられるものをピックアップしたのだけれども、全て、見事な形で物語の中に投入されている要素だ。
また、(魔)女が魔法をかける時、しばしば円周上を動く、あるいは螺旋の動きをするということも、
蜘蛛の巣の構造と対応するイメージであるだろう。
さらに、本作の中ではあえて言及されていないが、機を織ったり、糸を紡ぐ女神は、しばしば、「運命」とも関連づけられているんだよなあ。
これも有名どころをあげれば、ギリシアのアトロポスという三人組の女神がいる。
人間の運命を定めるため、アトロポスは、糸を紡ぎ、それを断ち切るのだ。
本作では、最後の最後まで姿があらわにならない真犯人(?)である「蜘蛛」が、
まさしく「蜘蛛の巣のような構造の」罠をはりめぐらせ、
その糸によって「人を操り」、
古い女系家族と、それに対立する中世以降の家父長的家族の「ことわり」のぶつかりあいに勝利するため、「魔法をかける」のだ。
その渦中、フェミニズムも非常に面白く用いられており、大変面白い。
面白さの点では、前巻『鉄鼠の檻』にまさるとも劣らないが、
日本人になじみ深いようでいて、実はなじみにくい仏教という世界ではなく、
男の論理と女の論理の対立という、非常に現代的なテーマが扱われているだけに、こちらの方が自然に物語へのめりこめそうに思う。
とくに、『狂骨の夢』 で登場した降旗のラインを通じ、男性優位的なフロイト学派の理論を女性の、いや、本巻のタイトルにしたがうなら、「絡新婦の」論理で突き崩していくくだりなどは、実に爽快とも言える。
正直なところ、日本における蜘蛛と水のかかわりに関する部分など、いささか、強引というか、未消化に感じられる部分もあるのだけれど、このミステリは、ほんとうに面白い。
知的な刺激を受けるエンタテイメントだ。
京極 夏彦
絡新婦の理