手当たり次第の本棚 -332ページ目

〈反地球シリーズ〉知る人ぞ知る問題作(笑)

〈ゴル・シリーズ〉ともいう。今でこそ、SFやファンタジイやホラーの中で、かなり過激なセックス描写がある、なんてのも、それほど珍しくはなくなったけれども、このシリーズが出た当時は、
「SFではなくSMだ」
とか、かなーり本国アメリカで物議をかもしたそうだ。ファンもたくさん、攻撃する人もたくさん! えらくながーく続いているが、日本では6巻まで、和訳がでております。
ちなみに、1~3巻は、かの武部本一郎画伯の挿絵。

このシリーズの興味深いところは、まず、〈火星シリーズ〉、つまり『火星のプリンセス』(ああ、デジャー・ソリスさま)に代表されるバロウズが創出したフォーマットの宇宙異世界活劇もののスタイルを取っている事。このスタイルを、バロウズ・タイプと呼ぶ。あまりに特異なので、ふつうのスペオペとは、かように区別されております。

ただ、バロウズ・タイプは、いかにもなアメリカン・ヒーローで、どんな苦境にあっても決してくじけないのが大きな特徴でもある。それは、〈火星シリーズ〉の主人公、ジョン・カーターの名台詞
「私はまだ生きている!」
(生きてさえいれば逆境から抜け出して勝利を手にできるのだ)
という一言に、よーく言い表されているのでありまするが。

ところが、〈ゴル〉のタール・キャボットくんは、次々と逆境に投げ込まれ、確かに自力でそこから抜け出しては来るのだけれども、基本的に、運命に流される人なのだ。いや、ジョン・カーターとて、偶然火星(バルスーム)に行ってしまうと、そこから地球に帰ろうとする努力はほとんどしてないので、運命を受け入れちゃった人という点では共通なのだが、タール・キャボットの方が、より、その傾向が強いわけだ。特に、巻を追うと、それが顕著になっていきます。

ていうより、凶悪な運命にふりまわされるが、そこに出現する絶対的な存在が与える「使命」を果たすヒーローとなるよりは、
「俺は自分の愛する人を探し出して一緒になれればそれでいいんだ!」
という一点にしがみついてしまうのだ。

むむ、どこかで聞いたような……。ドリアン・ホークムーン(マイクル・ムアコック作の、あれ)と一緒じゃあないですか?(笑)

つまり、主人公の性格としては、ムアコックが提唱し、導いた、ニューウェーブに属するものなんですね。言ってみれば、正統派ニューウェーブタイプのヒーローなのであった。

んでもって、出版当時論争のまとになった、「エロいだろSMだろっ」の指摘は、現代では、なーんの力ももたないと思われる。そうです。現代の基準にてらせば、まるっきり大人しいです。いや、楽しいけどね(笑)。今のSFとかファンタジイを普通に読める人ならば、絶対に大丈夫。

更に、このシリーズには、付加的な魅力もあるのだ。それは、ギリシアやローマの風俗が、惜しげもなくモデルとして使われてる事。ここらへんに興味のある人なら、「おお、これはアレだねっ」と思い当たるものが、ビシバシとあるはず。私、海戦の描写には、思い切り耽溺してしまいました。いやー、いいぜい。

ただ、ネックは、訳が6巻でストップしている事。5巻で大きな衝撃を受けてしまったタール・キャボットくん、そのあたりから、落ち込みすねまくりウツ状態に突入し、ヒネクレ者になってしまうのですよ。しかもその状態から浮上するには、何巻もかかるのだ!
和訳の最後のとこは、落ち込んでいくとっぱななのです。なので、訳だけ集めて読んだ場合、ちと、イラだたしさが残る可能性は、あり。

〈反地球シリーズ〉(ジョン・ノーマン作 創元推理文庫SF)
〈火星シリーズ〉(エドガー・ライス・バロウズ作 創元推理文庫SF)
〈ルーン之杖秘録〉(マイクル・ムアコック作 創元推理文庫SF)



著者: ジョン・ノーマン, 永井 淳
タイトル: ゴルの巨鳥戦士



著者: ジョン・ノーマン, 永井 淳
タイトル: ゴルの無法者



著者: ジョン・ノーマン, 永井 淳
タイトル: ゴルの神官王



著者: ジョン・ノーマン, 榎林 哲
タイトル: ゴルの暗殺者



著者: ジョン・ノーマン, 榎林 哲
タイトル: ゴルの遊牧民



著者: ジョン ノーマン, 榎林 哲
タイトル: ゴルの襲撃者

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ポケモン『公式ぜんこく図鑑』

ポケモンっていえば、ニンテンドーががっちり握ってはなさない、根強い人気のキャラクター。いつのまにやら、ポケットモンスターネクストジェネレーション、なんつーものになっており、最初は100匹ちょいだったポケモンが、今では300匹以上もいるらしい。

長年使っていたゲームボーイが何年か前におなくなりになってしまったので、しばらくそういうものとはご無沙汰してたのだが、つい、夏にGBAを買ってしまったので、ついでにポケモンの最新作(当時)も買ってしまい、
「うぐあ、知らないポケモンばかりだあっ」
ということで、急遽これを買い求めたのだが。

ていうか、ポケモンの攻略本って、ほんとに少ないよね(笑)。図鑑っぽいのも、まあこれが一番使い勝手が良かろうと思ったのだが、ありゃりゃん。「主な入手方法」しか、ポケモンの生息地が示されていない。もちろん、完璧ではない。

この図鑑、ゲームソフト的には、ルビー&サファイア、ファイアレッド&リーフグリーン、そしてポケモンコロシアムが対象になっているのだが、図鑑というからには、生息地はもっと詳細に記載されているべきではないだろうか!(笑)

てか、ポケモンをゲームする場合、ポケモン使ってバトル~という他、ポケモンをたくさん集めよう! という、コレクターな気分を味わいたいというのがあるので、生息地情報は非常に重要だと思うのだ。「攻略のヒント」なら、主な生息地だけでもかまわんが、図鑑ならちゃんと載せようよ(笑)。

以上の点で、不満あり。

『ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン 公式ぜんこく図鑑』(元宮秀介&ワンナップ編著 メディアファクトリー)

『トリプル・スパイ』 宇宙舞台のスパイ・ゲーム

草上仁というと、SFマガジンその他に発表し続けてきたような、上質の、そして楽しいショートショートや短編というイメージが強い。でも最近は、長編も良く見かけるような気がする。

その一方、長らく「SFは冷え込んでいる」と言われている中、ソノラマだけは、SF、それもスペオペに力を入れて、がんばってるなあ、と私は思う。前にソノラマは、一度、ノベルスを出してこけてるんだけど、この頃、また、ノベルスに手を出したらしい。でもって、その中に入っていたのが草上仁作品!

1作目の『スター・ダックス』は、なかなかユーモア溢れるコン・ゲームを扱っていて、面白かったのだけれど、2作目を読んでから振り返ると、シリーズの導入作品というポジションにあるのは否めない。そうです、2作目のが面白いのです( ‥)/

昨今のはやりに従って、多彩なキャラクターが、それぞれ、個性をばりばり発揮して、読者を楽しませてくれるというのは勿論、ストーリーの方も、一転二転三転で、三つどもえのスパイ合戦は、国家どころか、個人や企業の思惑まで絡まって、くんずほぐれつというかなんというか。

ていうか、国家間、企業間のスパイゲームであるだけならば、冷たく静かに陰湿に、イギリスの冒険小説のよーにシリアスに進むのだろうけれども、そういうのをバックに、個性豊かなキャラが突っ走る突っ走る。でもって引っかき回す! そこが作品の魅力になっているものと思う。

トリプル・スパイっていうより、トラブル・スパイのような気もする……(笑)。

スペオペが好きならば、是非、手にとりましょー。

『スター・ダックス』『トリプル・スパイ』(草上仁作 ソノラマノベルス)


著者: 草上 仁
タイトル: スター・ダックス
タイトル: トリプル・スパイ―スター・ダックス〈2〉

エターナル・チャンピオンでは、誰が好きですか

エターナル・チャンピオンと聞いて、ピンときたならば、間違いなく、「海外ファンタジイファンとして、モグリではない」と言えよう(笑)。ここらへんでちょっと歯切れが悪いのは、現在新刊書店の店頭では入手しにくくなっているため、その分マイナーというか、マニアックに流れている可能性があるからなのだな。

まあ、もともと、ある意味でマニアックな作品(群)なんだけども!

そもそもムアコックが上梓した作品の中で、どこからどこまでがエターナル・チャンピオンになるのか? という事については、非常に境目があやふやで、難しいところがあるし、なんつっても和訳されてないのもある、ときている。(しかも今現在、ペーパーバックでも入手が難しい。困りもん)。

でも一応、エレコーゼ、コルム、エルリック、ホークムーンの主要4人のシリーズは訳されてると言っていいかな。うち、ホークムーンだけ、創元。あとはハヤカワSFって、それはどうでもいいか。

彼らは、別人にして同一人物であり、同一人物にして別人というややっこしい関係なので、ある意味、性格とか、やろうとする事は似ているのだが、それでも、微妙に、違いはあるんだな。

だがしかーし!
……物語的には非常に好きなのだが(なんつっても、『タネローンをもとめて』は自分で同人翻訳したくらいに)、よくよく考えてみると、これら4人の主人公は、どうでもいい感じなのだった。

以上4シリーズを通して、何者が一番好きですかとか言われた場合、選ぶのは、ダヴェルクだ。眉間に縦皺よせたような、悩みに満ちた主人公たちと、ひといろ違って、どことなくちゃらんぽらん、女好き、どこにどう行ってもウナギのようにするすると生き抜いていける!
「俺は無敵だぜ」
と、薄ら笑い浮かべて言ってるような、あのキャラは秀逸!
てか、「俺の理想だぜ」とため息でるような感じのキャラなんだよね。
好き。

とはいえ、物語的には、エルリックも良いなと思うのだ。キャラ的にもエルリックは4人のうちで一番キレていて、非人間的で、見ていて面白い。悩むよりキレるタイプって感じがする。

ハヤカワもなんとかして、『時の果てのエルリック』を出してくれないもんだろうか。

(む、今回はちととりとめがない感じ(^^; )

〈エレコーゼ・シリーズ〉(マイクル・ムアコック作 ハヤカワ文庫SF)
〈エルリック・シリーズ〉(マイクル・ムアコック作 ハヤカワ文庫SF)
(紅衣の公子コルム)(マイクル・ムアコック作 ハヤカワ文庫SF)
(ルーン之杖秘録)(マイクル・ムアコック作 創元推理文庫F)
(ブラス城年代記)(マイクル・ムアコック作 創元推理文庫F)

ファンタジイと翻訳

さて、ファンタジイというやつは、大抵、異世界を舞台にしている。だけでなく、大抵は、どこぞの国・民族の、古代~中世~近世をモデルにしていたりするわけだ。となると、普通の翻訳よりも、翻訳文の善し悪しが、気になってくるのであった。

たとえば、私は、ハヤカワFTの中心的訳者でいうと、岩原明子訳はキライなのだ。
この人が手がけている作品のモデルは、どう考えても、ヨーロッパの中世とかでしょう、というのが多いし、当然、上流人士、はっきり言って、貴族の男女などがた~くさん、出てくるのだ。まあ、男はいいです。でもね。
貴族の女性に「あたし」とは言わせるなあっ!
女性に限らず、貴族に「あんた」とは言わせるなあっ!
普通、貴族が使う言葉じゃないでしょうが。雰囲気ぶちこわしです。でも、岩原訳では、常に、「あたし」「あんた」が一人称、二人称として用いられます。
ぐは。

対照的なのが、井辻朱美訳。同じく、中世ヨーロッパあたりがモデルかな~みたいなファンタジイの訳が大変多い。ムアコックの、エルリックなどもこの人が手がけているし。さて、台詞回しを見ると、なかなか古風で良いのですが……。
岩原訳とは逆に、それほど身分の高くない女性がしゃべっても、ちょっとお上品すぎなところがある。いや。岩原訳よりは、私として、読めます(笑)。ちょこっと、たまに、違和感があるってだけで。

ハヤカワFTを離れると、別にどの本と言わず、しばしば見られる誤訳で、
「それだけは頼むからやめてくれ」
ってのがある!
corn、これは確かに、ふつーは、スイートコーン、つまり、トウモロコシの事ですが、辞書を見るならば、本来は、(その土地で主要な)穀物の事、とある。イギリス諸島でも北側の方なら大麦、南側の方なら小麦、とかですねー。
ていうかトウモロコシがヨーロッパに入ったのはいつですか~?
やめて下さいね。大航海時代以前の物語に「トウモロコシ」は。

考えてみると、『時の車輪』がどんどん読めてしまうのは、もともとストーリーテイリングがうまい作家のものだというのもあるだろうけど、訳が、そういうとこ、気を遣ってるからだろうと思われる。後書きにも時々、そういう苦労譚が書いてあります(笑)。

〈エルリック・シリーズ〉(マイクル・ムアコック作 ハヤカワ文庫SF)
〈時の車輪シリーズ〉(ロバート・ジョーダン作 ハヤカワ文庫FT)

『竜騎争乱』 王と女王と小姓と侍女

『時の車輪』第8部、『竜騎争乱』。昨日も書いたが、『時の車輪』はどんどん読めてしまうのだ。

まあそれはともかく、2巻の冒頭近くで、元女王が、身分を隠して旅している途中、やむなく、とある貴婦人の侍女になるよう勧められるというシーンがあった(笑)。自らのプライドを傷つけながらも、それを受け入れる元女王陛下なのだが!

このシーンを見て、思い出した作品がふたつある。両方とも、同じハヤカワFTから出ているものなんだけれども、ひとつは、『リフトウォー・サーガ』。最初の方で、貴族の師弟はすべからく宮廷にあがり(王宮に限らない)、小姓または侍女として勤めながらいろいろな事を学ぶのが普通、という生活が描かれている。これは異世界ファンタジイだけれども、中世ヨーロッパの社会がモデルになっているようなので、中世ヨーロッパならさもありなん、と思ったのだ。

日本でも、平安時代の貴族の生活は、かなーりそれに近いところがあったんじゃないかと。(違うところも多いだろうが)。

で、もうひとつは、『騒乱の国ヴォナール』三部作。こちらはフランス革命時代がモデルというか、フランス革命を模した社会を舞台としたファンタジイだけれども、最初のところで、地方の貴族の娘がお供の小間使い(領地の百姓娘)を連れて、宮廷にあがり、侍女となる。すると、かの小間使いが、「お嬢様は、あたしがお嬢様に対してするのと同じ事を、宮廷でなさってるんですね?」と素朴なツッコミをして、お嬢様が猛然と否定するというシーンが、ちょっと印象的だったのだ。

日本では、召使いとか女中さんというと、なんとなしに「下の身分の人」とか、「その言葉を使うのは差別的」っていう意識があるのだけれども
 ↑本来、女中さんというのはむしろ尊敬語だそうだ。差別語だとか言われだしたのは、昭和に入ってから。

実は、召使いとか小間使いは、名門子女がつくにふさわしい仕事、という見方も、ヨーロッパにはあったようだ。実際、近年までも、貴族の執事などは、当主の親族がなったりしていた事もあるらしー。

『竜騎争乱』〈時の車輪シリーズ〉(ロバート・ジョーダン作 ハヤカワ文庫FT)
『リフトウォー・サーガ』(レイモンド・E・フィースト作 ハヤカワ文庫FT)
『騒乱の国ヴォナール』(ポーラ・ヴォルスキー作 ハヤカワ文庫FT)

『だれも猫には気づかない』 猫好きが書く物語

あなたは犬派ですか? 猫派ですか?
とか。
あなたは犬型ですか? 猫型ですか?
という、答えに窮するような質問が、時々、ある。
どうしても二者択一なのか?
両方良いとか、両方だめというのはないのだろうか?
私はどっちも好きだけれども、猫は飼ったことがない。残念。

まあだからだろうけれども、世の中にはいろいろと、動物が主人公の文学書や小説があって、そういうのを読むのが楽しい。但し、どちらかというと、主人公の役を担うのは、猫の方が多いようにも思う。まっさきに頭に浮かぶと言えば、日本人なら、夏目漱石の『吾輩は猫である』だろうけれど、人によっては、他のものが先に出るかな。三毛猫探偵とか。そういや、ミステリイで、猫が主役のものってわりとあるかもな。
ミステリチャンネル(CS)のイメージキャラクターも黒猫だしね。
(あのアイキャッチャーはデザインが良い!)

でも、ミステリイだけでなく、ファンタジイにも猫が主役のものはいろいろあるのだ。
たとえば、マキャフリイの『だれも猫には気づかない』。「薄闇色のニフィ」という猫が主人公。あー、いいよね。薄闇色! 漆黒ではないわけだ。薄闇色。
で、読んでいて、うおーいいなあ、と思うのは、飼い主が、「私がニフィを選んだのではなく、ニフィが私を選んだ」と言うところ。

これはね。動物を飼った事がないと、絶対出てこない台詞ではなかろうか。ペットって飼い主が自分で選んで飼うというのが常識かもしれんけど、つきあってみると、やっぱり、飼われている犬なり猫なりの方が、「飼い主(ていうか、相手? パートナー?)を選ぶ」って感じるんだよ。

そして、ニフィの動作のひとつひとつが、
「ああ。マキャフリィってほんとに猫が好きなんだ」
そう思わせる描写になっている。

マキャフリィというと、何と言っても人気なのは、(一種の)ドラゴンと共に生活する人々が登場する、『パーン』シリーズで、あちらもドラゴンと人の交流が緻密に描かれてるんだけれども、あのドラゴンはなんといっても、人間と心で話せるという点で、ある意味描写しやすいだろうと思う。

でも、ニフィはそんな風にはしゃべらないのだ!
しゃべらないからこそ、描写される動作のひとつひとつに味があると言える。でもって、こればかりは、ほんっとーに猫好きでないと、書けないと思うんだよね。

だから、読んでいると、
「ううっ。ニフィいいなあ~」
猫好きはそれだけで完結してしまいそうな感じ。

いや、物語もね。勿論、面白いです( ‥)/

『だれも猫には気づかない』(アン・マキャフリイ作 東京創元社)※今は文庫があるはず
『パーンの竜騎士』〈パーン・シリーズ〉(アン・マキャフリイ作 ハヤカワ文庫SF)
『吾輩は猫である』(夏目漱石作)



著者: アン マキャフリー, Anne McCaffrey, 赤尾 秀子
タイトル: だれも猫には気づかない (ハードカヴァー)
タイトル: だれも猫には気づかない (文庫)

タニス・リーとファーマーと三相の女神

古代の、インドあたりからずずっと西へ行って、エジプトとか、ヨーロッパまで。ここらへんの「なんとなくアーリアン」な地域では、
 一にたおやかな乙女の顔
 二に飽満で多産な母親
 三に賢く神秘に通じた老女
という、三つの相(姿、機能)を持つ女神がいろんな名前で崇拝されていたわけで。

当然、そういう女神が崇拝される異世界を舞台とするファンタジイなんてものも、欧米にはわりかしあるわけだ。いや、もう、ほんとにたくさんあって、比較的最近日本に紹介されてるものだと、マーセデス・ラッキーの『ヴァルデマール年代記』にも出てくるわけなんだが、もう、この女神の存在がばっちりテーマです! となってるものとして真っ先に頭に浮かんでくるのは、タニス・リーの『月と太陽の魔道師』。

タニス・リー作品というと、かつてのC・L・ムーアを思わせる、独特の耽美怪奇趣味に溢れたファンタジイというイメージがあるんだけれども、これもまた、小品ながら(文庫として1冊になってるけど、薄い)、三相の女神に象徴される、女の美しさと不気味さ、謎めいたところ、というのが怪美に語られている。ただ、その中にあるのは、「そういう謎めいて神秘的な状態に囚われている女性が、ヒーローの手によって、人間性を回復したい」というか、神の力にがんじがらめにされた彫像が、男の愛情によって一個の人間になるというピュグマリオン的テーマというか、そんな感じで語られてるわけだ。

ところで、三相の女神がどどんと出現するSF作品というのがある。フィリップ・ホセ・ファーマーの『太陽神降臨』が、それ。こちらも、社会を支配する三相の女神が、リアルに語られているんだけれども、これは純粋に、三相の女神と切っても切れない、「犠牲にされる王」を通して見ているので、もっと不気味さというか、怖さが強調されている。男の目から見た三相の女神はこうだ! と、少し歯を食いしばって描写している感じ。

この、三相の女神にあたるものは、日本の神話にはないようなので、日本人がこれを理解するのは、ちょーっと難があるかもしれない。

基本的に、「女とは、命を生み出す神秘的な存在である。生み出すからにはその正反対の死も、司っている(のかもしれない)」という事と、「命を生み出すという魔法を行う手段は、セックスである(単なる性行為だけでなく、それに関わる周辺的な事も場合によっては、含まれる)」という事と、「男はその魔法を行うための補助手段! とりかえがきく(犠牲としてはうってつけ?)」という事を、憶えておけば、だいたい間違いなかろう。

ちなみに、儀式的殺人(生贄)も、命(豊作、繁栄)を保証するための一種の性行為(この場合、流される血は、経血または精液を象徴するらしい)であるわけで。神話に出てくるところだと、メジャーなあたりでは、アポロンの円盤に殺されちゃったアドニスとかも、この系統のもののようだ。

まあともかく。男は、命を保証するために女に尽くし、場合によってはむさぼり食われてしまう、ある意味で、弱い立場なのだ。でもって、女は、命(世界)を維持していくという、重荷を背負わされているわけだな。

そういう枠組みの中で語られているのが、『月と太陽の魔道師』と『太陽神降臨』なわけで、但し視点はそれぞれ互いに逆方向を向いていると思われる。読み比べると面白いよ。

『月と太陽の魔道師』(タニス・リー作 ハヤカワ文庫FT)
『太陽神降臨』(フィリップ・ホセ・ファーマー作 ハヤカワ文庫SF)
『ヴァルデマール年代記』(マーセデス・ラッキー作 創元推理文庫FT/教養文庫)

『ロンドンの怪奇伝説』

ロンドンで、ホラーなキャラクターっていえば、な~んだ?
はーい。
「切り裂きジャック」でーす!

だよね?
そうだよね?
ちがったかなー?

全然違いません。

でも、実はこんなのもあるんだよ、という事で、この本で扱われてるのは、まず、バネ足ジャック。スウィーニートッド。地獄の火クラブ。この3つなのでした。

まあスウィーニートッドは、ミュージカルで上演されたりしているそうで(いや、私は見た事ないので、純粋に伝聞)、知ってる人もいそうだけど、他の2つはどうよ?
(スウィーニートッドは、客の喉を切り裂いて金品を奪い、隣のパイ屋で死体をパイに焼かせてたっていう殺人床屋です)。

バネ足ジャックは、「なんか聞いた事あるかもな?」な感じでしたね。でも、どんなのかと言われると「う~ん?」。
「地獄の火クラブ」に至っては「なにそれ?」。

そうなんだよ。
「なにそれ」なんだよ。
知らないんですよ~(笑)。

でも、読んでいくと、いわゆる「都市伝説」ってやつの発生と伝播、変化の様子が、よくわかるんですね。そういう意味では非常にすばらしい! 現代の日本にも通じる、凄い、都市伝説研究の本だと思う。

切り裂きジャック以外にもロンドンにはこんな恐怖があったんだっていうのと、都市伝説のなりたちに興味があるなら、絶対お勧めだと思う。

ちなみに、書いているのは仁賀克雄という人で、この人は知る人ぞ知る、日本で一番のリパロロジスト、つまり、切り裂きジャック研究家。でもって、ホラー小説もたくさん訳してる。だからこそのマニアックな選択なんでしょうなあ。

ロンドンの怪奇伝説 』 (仁賀克雄著 メディアファクトリー刊)

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『歴史』 ヘロドトスの、あれ

『歴史』? 別に学校の授業とかじゃなくて、ヘロドトスの書いた、あれです。そうだよ。あれだよ。名前くらいは知ってるっていう人が多そうなんだが、不思議と「ああ読んだ読んだ、あれって、あれなんだよね!」とか言う人にお目にかかった事がないのであった。

結構面白いんだよ。

日本の、専門書(入門書含む)としての歴史書とは、全然違います。

ギリシアが、ペルシアと、すったーもんだーしている時代の事を書いたものなんだけど、どちらかというと、
「ペルシアのえらーい大王が、ギリシア征伐を決定しました!(また~?)」
「これこれの民族が動員される事になりました」こんなのもあんなのも。風俗描写コミ。
「こういうルートで行くんだよ。立ち寄った土地はこんな感じ!」
ペルシアの歴史かい。……違うんだけど(汗)。
「そのころギリシアでは!」(ギリシア人はいっつもポリス間で仲が悪い~)
「んでもってアテナイはこれこれでスパルタはこうこうでどこそこはこう!」

ヘロドトスの、各地の風俗や政治状況に関するうんちくが、たら~りたら~りとたらされ(でも注釈によると、間違ってるとこもいろいろ?)、どちらかというと、歴史を学ぶとうより、当時のギリシアや周辺地域の風俗や、社会情勢を、
「いいかい。じいちゃんの若い頃はね、戦争があってね、こんなに大変だったんだよ」
と孫になって聞いてるような感じがするのでした。

本当だってば(笑)。

ちなみに、ヨーロッパでは超有名な、「テルモピレーの戦い」(テルモピレーという、温泉地の山の中で、ペルシアの大軍勢を向こうにまわして、スパルタの勇敢な王レオニダスがわずかな手勢で勇敢っっっっに戦った!!! という歴史上の人気あるエピソード。日本人にとっての桶狭間とかひよどりごえみたいなもん)も中に含まれているんだけれども、文学作品とかではないので、盛り上がりに欠けるのだった。

たま~に再読したくなるギリシア古典。

歴史』(ヘロドトス著 岩波文庫上中下巻)


著者: ヘロドトス, 松平 千秋
タイトル: 歴史 上 岩波文庫 青 405-1
タイトル: 歴史 中 (2)
タイトル: 歴史 下  岩波文庫 青 405-3

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